教師に求める資質

はてなブックマーク - bn2islanderのブックマーク / 2008年5月25日

教師失格の例というタイトルなら、具体的にどの辺りが教師失格かを書くべきだとは思う/「ネット」だけで教師の能力を推し量れる訳がないと思うんだけどね。判断できるのは意見の質であって、教育の質ではないでしょ

いわゆる教師というものにボクが要求している資質があることに気がついたので記しておく。


1.生徒を侮辱しない
2.生徒の可能性を信じ、才能を尊敬する
3.生徒のやる気を削がない
4.生徒の未来を奪わない
5.風紀、倫理、規律を厳格に守る(守らせるではない)
6.生徒の安全を保障する


子供に限らず、生徒というものは教師よりは経験や知識において劣ることが一般的で、優れた生徒が教師に教えを請うということはまずない。
また、一般の教育現場であれば生徒の生殺与奪の権利を持つのが教師といっても過言ではない。あまりに無茶なことはできないようになっているとはいえ、圧倒的に教師のほうが上の立場におかれていることは事実である。なによりそのことを生徒がよく知っているから、教師に対し本心からではなくても敬意を表わすようつとめるだろう。
そういった環境下に置かれていることで、教師は傲慢になる傾向があるらしい。
お客様相談センターから困ったお客様として扱われてしまうのは、世間で”先生”と呼ばれている人に多い。文字通りの先生である教師達が傲慢になりがちであることの証左のひとつと言えるだろう。


実際のところ、教師が好む生徒というのは少数派で、大多数は教師から見ればヒトクセもフタクセもあるならずものぞろいであろう。
しかし、知識や経験が不足しているから教師の教えを請うわけで、至極当然なことなのである。そもそも、自分が無知であることすらわかっていない生徒だっているだろう。
人間誰にも可能性というものはある。
生徒が若ければ、本人すら気づかない隠れた才能を持っている可能性は大いにある。
教師をなりわいとするのであるならば、そのような才能や可能性、将来性を開花させることに血道を開いて欲しいと思うのである。


また、そういった意味では教師というものは生徒にとって見れば自分の人生を形成する上のツールのひとつでしかない。
使い物にならないツールは(無理やり使わされることはあったとしても)敬遠され、放置され、捨てられてしまうだろう。
生徒は成長する。子供や若者ならなおさらのこと、いとも簡単に教師を追い越してゆく。追い越しまではしないでも、すぐに教師の影響下を離れる。
そのときに教師として生徒に対しどれだけのことが出来たか、真価が問われる。
恩師に生徒が向けるものが、敵意であったり、そこまでいかなくても若かった生徒自身への郷愁のかけらだったり、儀礼と虚礼だけだったとしたら、その教師は生徒に使い捨てられたのであろう。


教師は生徒を評価する立場なので忘れがちになるが、生徒もまた教師を評価する立場なのである。
教師による生徒の評価より、よほどシビアで直接的な判定を生徒は教師に対し下す。
ネットに生徒の不出来を嘆くエントリなぞ挙げた日には、文字通り電光石火で生徒の信頼を失うこと必至である。
もちろん、生徒もバカではない。そのような態度をおくびにでも出せば、教師の逆鱗に触れることは知っている。
むしろブログが炎上し動揺している教師を(それもネット上で!)見れば、激励のひとつでもして点数を稼ぐことも辞さないだろう。
そこまでしなくても、表面上は平静を保ちつつ、心の中で軽蔑するぐらいの芸当は朝飯前である。


礼は礼で返ってくる。
非礼は非礼で返ってくる。
軽蔑もしかりである。
尊敬されない教師など、もはや教師ではない。