人はネットの言葉から受ける影響を自己管理できるか?

END OF SCAN-ぶっちゃけソースコードと言葉は違う。言葉は見た瞬間自動実行されるバイナリみたいなもの
id:paraseleneさんのコメントから

理解には、文言レベルでの理解とそこから行動に移る深いレベルの理解があるけど、前者はどんどん重視されなくなっている。

最初の論題からはすこし外れるのですが、文言レベルでの理解が軽視されつつあるのは情報化社会といわれる情報の氾濫が原因の一つにあるのではないかと思いました。
id:paraseleneさんが前提としているとおり、人はたいていの場合”思考と言葉がカップリングしている”んですが、これをすっ飛ばして理解できる人も中にはいます。そのため理解は出来るけど人に説明できないんだけど、それはそれとしてそのことが「すばらしい」という風潮が最近出てきているのではないかと感じています。

最初の論題はネットに書かれている記事をそのまますぐ鵜呑みにしてしまう、いわゆる「釣り」に引っかかることへの考証が論点だと思うのですが、その流れは実は「理解力の向上=文言レベルでの理解の省略」というある流れに依存しているのではないかと。

前述の記事への私のコメントで、なぜバイナリであってインタプリタではないのだろうという記述はこの点で大きく間違っていますね。理解のスピードが欲しいのだから、誰かがコンパイルしたものをバイナリとして流し込むほうがよほど効率的。そして、最初の論題に戻り「それってどうなの?ブログとか炎上する理由の一つになってないか?」ということにつながってくる。

もちろん、理解のやりかたというものは時代の流れというよりは個人の資質の問題が大きいとは思います。が、ネットでは「あおり」や「釣り」にすぐに乗ってしまい、いともたやすく中傷合戦に発展する理由の一つとしては、処理能力を超えた「情報」の一つの処理の方法として、言葉をバイナリとして処理しエネルギーを過大に消費しつつもスピードを得るやり方のためであるのでしょうね。

蛇足

>若い人ならむしろそう思うかと。
>コンパイルしない=バイナリという発送自体、結構年増な感じがするのですが、どうなんですかね?』
どうなんでしょう。BASICだとインタプリタ言語だし。

ぐふっ。BASICのことすっかりわすれてた。