余暇に費やす時間の質

毎回欠かさず聞いているアキバ系!電脳空間カウボーイズZですが、そのリスナーの一人、デザイナーの安倍吉俊さんのブログ(http://homepage.mac.com/abworks/iblog/C1042034385/E20061213025227/index.html)から引用。

 これはポッドキャストを絶対聞いて欲しいのですが、要約すると、時間の有り余っている学生時代が終わり、忙しい社会人になると、ゲームに割ける時間が限られてくるので、短時間遊んだだけで『ゲームで遊んだー!』と満足できるような濃密な充実感が欲しい。しかし、ブルードラゴンは非常に良くできていて面白いのだが、ロード待ちとか戦闘の勝利ポーズとか、ボタンも押さないし頭も使わない時間というのが結構あって、面白さに密度感がない。そのために、ブルードラゴンのようなゲームは、ゲームに時間を割けない社会人にとっては、面白いんだけど楽しめないゲームになってしまう、という話です。
 これは(僕はまだブルードラゴンは未プレイですが)、まさに僕が、いまゲームに対して一番強く思っている事で、こんなにゲームが好きだった僕が、次第に大作RPG系のゲームに対して食指が動かなくなっているのはこの密度感の問題です。これはゲームを作っている人達は本当に真剣に考えて欲しい。戦闘の勝利ポーズとか、攻撃が当たりました、みたいな、ユーザーの脳が働かないエフェクトや状況は、すべてボタンひとつで飛ばせる、という仕様にしなければ、時間のない人はどんなに好きだってゲームなんてやってられないですよ。

日本人は限られた余暇を「まじめに」楽しむ。計画を綿密に立て、その通りに実行することで余暇を楽しむ。
まるで余暇すら仕事のようにこなすのだ。
それが楽しいのだからそれでいいのだが、その「効率性」の観点から言って、ゲームは費用対効果があまり良くない娯楽になってしまっているのだと思う。


ゲームに時間を費やせないから遊ばないのではない。
それだけの時間を費やすほどの価値を感じないからゲームで遊ばないのだ。


だからこそ効率性を上げるために安倍さんは「もっと密度を!」と言っているのだが、「短い時間でとっても楽しめる」ことよりも「長い時間を費やす」ことのほうが、より豊かな「余暇」を過ごすという点では重要なのではないかと思う。
まるで牛丼をかきこむようにして短時間でゲームに熱中するよりも、満漢全席を一日かけて平らげるような気分でゆったりと楽しむことのほうが、豊かでよりよいゲームの楽しみ方だとボクは感じる。


余暇の取れないプロレタリアはゲームなどするなと言っているのではない。
余暇は作れるのである。がんばれば。
その「がんばろう」という気になるようなゲームこそを、クリエイターは作らなければならないし、それをクリエイターに求めるべきではないかと思う。