扇動されにくい群衆を求めることとは

階層分析は手段 - 模型とかキャラ弁とか歴史とか
誤解を恐れずに言えば、結局選民思想、つまりは民主制から一番遠いところに行ってしまうのではないかと考える。

スレッド主ご自身は高潔で理性的な人物なのかもしれないが、ぶっちゃけて言えば私はそうではない、ということ。
「真の」民主主義などと言ってしまう時点で私はこのひとは理想を追い現実を見ない人だと判断するが、民主制もいわば政体の選択肢の一つにすぎないのであって、むしろ民主制の欠点として、プロパガンダに弱いことが上げられるだろう。


民主制は民主制で長所も多い(日本は立憲君主制だが)。
ただし、ひたすら現実的であれと説きたい。
群集は扇動に弱い。それは古今東西変わらない。これからも変わらないのである。


その現実を見ずに「扇動されないこと」を求めて行くと、結局寡頭制や独裁制へつながる。権力を行使しうる人間が扇動されなければ、扇動という脅威から逃れることはたやすくなる。逆説的だし短絡的のようだが、理想を追い求めた結果ロクでもないことになった事例ならそれこそ歴史に山と積まれている。


スレ主は過去や現代の人間ができないことを、「私ならできる」と思う人なのだろう。
私は、過去や現代の人間ができなかったことは、「私にもできない」と思う。


科学ならともかく、政治や統治といった分野において、いったい人はどれだけ進歩したというのだろうか。
民主制を信じそれをうまく活用していこうと思うなら、「群集は一人の扇動者によってたやすく操作される」ことから目をそらしてはいけないし、その事実を変えることができると勘違いすべきではない。