書くためにゲームをプレイする
ものを書くということは楽しいし、必ず読者がいるということは物書きにとって、とても励みになるものだから、二次創作(ゲームや漫画のサイドストーリーを作ること)に励む人の気持ちはとてもよくわかるのだけれども。
ものを書きたくなる”もの”、クリエイティビティの触媒といっていいものはそうそう世の中には出てこないのが現実だ。
Kanonというゲームにしても、初音ミクにしても、あるいははてなのMML記法対応にしても、その絶対数は少ないにせよある種の「触媒」としての機能はあったし、ある。
ただ、触媒を誤認して過剰に反応するのはたしかにどうかと思う。
以前春日姫宮さんに月姫だったかClannadだったかを薦められたとき、「書くためにゲームを遊ぶわけじゃない」と言ってその場の空気を凍りつかせてしまったことを思い出したけど、触媒に触れ常に反応することに過敏でないと、あるいはクリエイティビティは酸化膜で覆われて不活性化してしまうのかもしれない。