イデオロギーに対する信仰ほど唾棄すべきものはない

回答多謝。コメント欄についても了解です。


2008-01-14


ある程度予想していた範囲内の回答だったので、反応してみたいと思う。


まず、日本を動かしているのは一部の権力者という甘えは危険だと認識したほうがよい。
間違いなく福田総理は議員として直接選挙で選ばれているし、間接的であれ日本国民が選んだ内閣総理大臣である。少なくとも軍事クーデターなどで実権を握ったわけではない。天皇によって任命されているが、これも形式上である。天皇が自らの意志で選定した首相ではない。
であるから、日本政府の欺瞞は日本国民の欺瞞である、という認識を持つべきだ。
どこかの偉くて悪いヤツが勝手に日本を動かしているのではない。人種差別をしているのは、日本国民である。そして、その事実に無自覚であるのも、日本国民なのである。


けしてどこかの偉い誰かが悪いわけでは、ない。
悪いのは下手をすると、私であり、あなたであるのかもしれない。


既得権益を手放したがらないのは、誰よりもまず日本国民である。
臭いものにふたをし、忘れ去ったふりをしているのは、過去の歴史において明言を避け、責任を回避し、うやむやにしてごまかしているのは、誰あろう日本国民である。そして、それが多数派であるのが現実である。


そこの認識を誤ると、首相や大臣はいわば国民の意思の象徴であり、ただ多数派の中から選ばれた特定の個人であるにもかかわらず「偉くて悪いやつ」という意味のないレッテル貼りをしでかすことになる。


さて、民主国家において差別は存在するか、またあるいは差別の存在する場所で民主国家が成立できるかについては、一度民主主義というものがどういう歴史を持っているかを学べば「存在できる」と言わざるをえないというのがわかるはずだ。
つまり、民主主義と、人種差別は別の問題なのだ。


また、ぶっちゃけていってしまえば民主化と民主主義も違う。
民主化とは「アメリカに都合のよい自由主義国家への改造」である。それを叫ぶアメリカ国民、および親アメリカの他国民が「アメリカに都合のよい」という部分に無自覚であることが多いが、言葉を使うときは気をつけるべきだと思う。


余談だが、人種差別の上に成り立った民主国家としてはアメリカは最右翼である。


民主化、あるいは民主主義、日本における民主主義の現状について論じてきたので人種差別については簡潔に述べるにとどめたいが、人種に限らず差別をすれば、効率の良い国家運営、いわば適材適所を阻害する原因になるので百害あって一利なし、というのが私の考えである。もちろん、私とて人間としての主権を尊重するという高潔な理想も持っているが、より実害があるレベルではそういうことだと認識している。


ブックマークの真意だが、タイトルに書いた「信仰」を、id:Arisanイデオロギーに対して持っているのではないかと先のエントリで感じたからだ。
「民主主義は最低だが、ほかのものよりはまし」なだけだと考える私は、イデオロギーが持つ効用、弊害を考慮せずに盲目的に信じることは意味がないどころか有害であるということを伝えたいと思ったからである。


意味は通じなくなると感じるかもしれないが、たとえば「民主化」を「共産化」「専制化」に置き換えて先のエントリを読んでみて欲しい。
おそらく、日本語としてはおかしくないはずだ。
つまり、イデオロギーはなんでもよいはずなのである。

無論、民主化=自由・博愛・平等ととれば、ほかのイデオロギーに書き換えてしまっては意味がなくなるのだが、しかし法の前の平等が法律に明記されたのは帝政に入ったフランスにおいてである。
誰がどんな形であろうと、人間の人としての権利・尊厳を保障してくれるなら、イデオロギーなど何でも良いのである。


イデオロギーなど信仰するに値しない。
信じるなら、もっとほかのものにすべきである。