最高学府の底力

http://d.hatena.ne.jp/y_arim/20080527/1211918547

中卒には中卒の、大卒には大卒の物語があるのだけど、(もちろん高卒にも、専門学校卒にも*1)それを読ませることができるのはスゴイなと思う。
アニメーションも吹きながら見た。クオリティの高さにもびっくりした。
私はアニメーション制作の授業を受けたことがあって、その課題に四苦八苦した経験があるので、なおさらそう思えた。あの長さの物を作ろうと思ったら相当時間がかかっているはずだ。
また、人生のターニングポイントがいくつかあって、その選択でその後の人生が大きく変わったであろうなとエントリ主が思っていそうだということも興味深かった。


再度「学歴」というものについて考えてみたけれど、結局子供の頃から大人になるまでの思い出以上の価値はそこにはないという結論に至った。
その人それぞれの思い出が、学歴という形で相対化され、比較対象になるから勝ち組、負け組なんて言葉も出てきてしまうだけであって、もともとそこに優劣はない。
ただひとつ思ったのは、どのような広さのコミュニティの中であれ、そのなかのトップグループに所属するということはなにかしらその人に影響を与えずにはいられないのではないかということだ。
逆に、底辺と呼ばれるグループに所属することも、トップグループに所属すること以上に影響がありそうだ。


何かしらの理由、学歴、容姿の美醜、肉体的や知性の才能、あるいは単に年齢などによって人は生きている限りカテゴリわけされてしまう。
人を見定める目は生きていく上では必要で、測るためのものさしは誰だって持っているものなのだけど、そのものさしが正しいものなのかは常に意識している必要がある。
つまらないものさしで人を測って分別してしまうと、思わぬしっぺ返しを食らうことがよくある。
また、自分を測るものさしを見誤ると、自信を持ちすぎて傲慢になりすぎたり、劣等感によって卑屈になりすぎたりする。


ほかの誰かであれ、自分であれ、何かしらの価値観で人を測らなければならないときは、人は誰でもすばらしくて、かならず良い面を持っていることを肝に銘じなければと改めて思った。

*1:専門学校には二種類あって、超テキトーにぶっちゃけて言うと通学定期が発行してもらえる本当の「専門学校」と、通学定期が発行してもらえない「専門学校」がある。私の通った二つの専門学校はいずれも後者で、学歴としては「高卒」扱いになる