いわゆるギョーカイの人が今、直面しているのはモラルハザードではない

http://elmundo.cocolog-nifty.com/elmundo/2007/04/post_93f1.html

テレビ業界の構造を告発しているエントリですが、今回の「あるある」捏造事件で問題視されているのは、そういった「腐敗した構造」ではありません。
構造が腐敗していようが、モラルが欠けていようがこれまで視聴者はテレビを見ていたわけです。
面白いテレビ番組なら見たわけです。

現場でどれだけ汚いことがまかり通っていようが、視聴者にはほぼ関係がありません。間接的には物価の上昇などでこうむっているのかもしれませんが、そんなことよほどひどくならなければ気がつかないでしょう。

問題なのは「もうテレビは信頼できない」と多くの視聴者が思いはじめている、ということです。
インターネットが普及する前までは、多少ウソが混じっていたとしてもテレビで放送された情報はかなりの信頼度があった。
それが今は失われつつあることこそ、ギョーカイの人たちは危機感を持って感じなければいけません。

視聴者は「テレビは信用できない」と思うことは自分の身を守るために必要です。しかし、被視聴者のギョーカイの人は自分が食べて行くためにはまず自分の「信頼」をとりもどさなければいけないのではないでしょうか。

さて、その「信頼」を取り戻すにはどうすればよいか。
その方法の一つが実名と顔をだすことだったと思うのです。
ただのパフォーマンスにすぎませんけどね。

でも、そのパフォーマンスをすることができないギョーカイの人たち。
マスコミ淘汰の時代が、足音を忍ばせてやってきています。