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- 5.ディズニーのイマジニア(スタッフ)になる
- カーネギーメロン大学の博士号を得て、満を持してディズニーに履歴書を送る
- 最高に丁寧な不採用通知が届く→”レンガの壁”
- レンガの壁があるのは、夢に対する思いの強さを証明するためなのです。(Brick walls are there for a reason:they let us prove how badly we want things)
- 5.ディズニーのイマジニア(スタッフ)になる
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- 2.NFLでプレーする
- 残念ながら実現しなかった。しかし、夢が叶った時よりも多くを学んだ。
- 練習初日、ボールももたずに集合
- 2.NFLでプレーする
ランディ「監督、ボールは?」
監督「フットボールは何人でプレーする?」
ランディ「11人VS11人です」
監督「そのうちボールに触れるのは?」
ランディ「一人です」
監督「残りの21人がすることを教える」
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- ひたすら基礎練習
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- 基礎があるから技術が生きるのです。
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- ある日、徹底的に欠点を直される。終わったときのコーチの言葉
- 間違いを正されるのは期待されている証拠
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- 誤りを指摘されない環境は自分のためになりません。
- 批判は愛情の証なのです。
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- 子供時代に打ち込んだことは生涯の友になります。
- 経験とは、求めていたものが手に入らなかったときに手に入るもの
- チームワーク、スポーツマンシップ、忍耐力をスポーツによって間接的に学ぶ。
- 子供にスポーツを習わせることは、”頭のフェイント(head fake)”なのです。
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- 3.百科事典を執筆する
- 出版社から依頼が来て、実現
- 今ではwikiが完璧な百科事典ですね(皮肉?ジョーク?)
- 3.百科事典を執筆する
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- 4.(スタートレックの主人公)カーク船長
になるに会う- カーク船長役の俳優ウィリアム・シャトナーさんが「実現したスター・トレックの科学」という本を執筆、ランディ・パウシュ教授を取材。
- 少年時代の憧れの人に会えた。それも向こうからボクの研究成果を見に来た。まさに感激の瞬間。
- (大きな動物の)ぬいぐるみを勝ち取る
- 4.(スタートレックの主人公)カーク船長
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- はじめに
- 現実は変えられません。だから現実の受けとめ方を変えるのです。
- 配られたカードで手を考えるしかありません。
- テーマ
- 子供のころの夢をどうやって実現したか
- 他の人の夢の実現をどう手助けしたか
- そこから学んだ教訓と、夢の実現を実践して欲しいという話
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- インスピレーションと夢見る力は無限
- 子供のころの夢
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- 交渉は粘り強く。こちらから材料を持ちかけることで道は開けるものです。
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ランディ・パウシュ最後の授業要約
ムービーを見てない人はムービーを是非見てください。
ジョークを交えとても面白い内容です。
以下は自分のための要約。
教師失格の例
id:fuku33氏の以下のエントリは、けして間違った内容ではないと思う。
生徒のナイーブさを嘆くエントリだ。
書いた人間の人間性を疑うべき箇所はないし、そういった「合理性」は大切な場面がどうしてもある。
ただ、このエントリの最後にアホなコメントを書き込んだことで、私のid:fuku33氏に対する評価は地に落ちた。
後日付記:わたくしのこのエントリーを「葛藤がない」と批判されている方がいるようですが、その方は巧妙にも(?)、こちらにTBを送っていらっしゃいませんでした。(こちらで拒否したり抹消したりしたわけではありません。)ブクマコメのたかだか百字の言い捨てはともかく、ひとつのエントリーとしてご批判をして下さるなら、こちらはできるだけ対応しようと思います。ですからどうかその方は、こそこそ物陰で憶測で人の意図を捏造してその虚像を攻撃するのではなく、TBを送って堂々とご批判頂ければ幸いです。
まあ、TBを送ってこないということが、理由がおありなのかも知れませんが。
そして見事にブログは炎上したわけだ。
上記エントリに対し、さらにアホな内容のエントリが反論として立った。
あのー、それ、普通にかわいそうなんですがーー「トリアージ」という自己欺瞞 - (元)登校拒否系
正直id:toled氏はこんなこと書くような人間(この記事に限らず)なのでいじめられて登校拒否になるのもうなづける、と私個人が認定している人物なのだが、そんな人間に対しコメント欄でさらに痛いリアクションをid:fuku33氏は起こしてしまっている。
なにか、こちらが悪の権化の詐術師であるかのような書かれように正直違和感を覚えるのですが。
自分はまず、学生たちに実際に福知山線脱線事故や中越地震の時に災害医療関係者たちによって行われたトリアージという行為について説明して、資源の有限性の制約のもとでは、限られた医療資源をどのように配分するか、もちろん無限ならばそういうことに悩まなくて済むのだけれども、有限であるからこそ、「どのように配分すれば効果的か」「そもそも効果的とはこの場合どのようであるべきか」「効果的であるとはどのような目的に照らしてのことか」という見地から、遺憾ながらも、被災した人たちを選抜しなければならない事態も実際に起きることがある、という点を受講者たちに意識させ、そこから合目的性という概念についても考えを及ばせたいと思ったのです。
そしてもちろん、トリアージにおける判断にミスがあり得るとか、事後的検証もなされるべき(そして実際に福知山事故の検証レポートについても触れましたが)である、ということも知らせつつ、なおかつ、そこでの判断次第では「助けられた人も助けられない可能性」や「助けるまでもない人を助けた可能性」について、とっさの価値判断をしつつも行動するには、「この組織は何のために活動し、何を優先するべきか」という判断基準が、なにかしら設定されていなくては現場が苦労する、というようなことも言って、「そこにマネジメントという行為を意識する契機」を見出してもらいたいという狙いがありました。そして多くの学生はそれを意識したようですが、「そんな選別するなんてかわいそう」という情緒的反応にとどまり、そもそもが「目の前に来た人をただ看護する」行為が助けられる人を助けられないことにつながる可能性もある、ということに思いを致すところまでなかなかいかない受講者もいたようでした。
もちろん、その「選抜しなければならない可能性も非常の時にはありえる」という価値観も、ひとつの政治的選択であると思いますし、「全体や組織からの価値判断」が正しいなどとは思いません。ただ、個人のその時その場所の判断より合理的な判断がありえるということをまず概念として伝えないと、組織として行動しそれに目的があるということについて考える上でも非常に前提から不自由なのです。それを価値判断として学生に押し付けようというつもりは毛頭ないのですが、そもそも「なにかの目的を達成しようとするときに有限の資源を適切に配分する価値判断が必要だという価値観もあり得る」ということ、それを諾とするか否とするかはともかく、まずそうした概念を理解させようという時に、ただ「資源が有限だから助けられない人もいるなんてそんな残酷なことに触れるなんて」という反応は、遺憾ながら感情的そして感傷的に過ぎないかと思います。それを自己欺瞞といい、それへの批判といい、感情的である「第一の症状」、「ゴマカシ」というのは、あなたの単なる憶測です。
イロイロ書こうと思っていたのだが、このエントリに対するブックマークで、うまいこといってるブックマークがあったので、それを紹介してエントリを閉じることにする。
id:CrowClaw氏グッジョブ。
http://b.hatena.ne.jp/CrowClaw/20080523#bookmark-8701638
当の医療従事者が言うならまだしも、大学人がそれを言うのはねえ。自己正当化に必死な「ナイーブ」さというか。
追記
id間違ってました。直しました。id:NOV1975さん指摘ありがとうございます。
追記2
引用元からこのエントリで指摘した部分が一部削除されているようです。
こちらは基本このままにしておきます。あとから読んだ人は意味が通らなくなるかもしれませんが。
追記3
強制力はありませんが、コメント欄に書き込んでいただけるさいは50文字以内でお願いします。
それ以上は読みません。
どうしても書きたいときは、トラックバック等を利用してエントリで返答してください。