美しい人

いつも髪を切ってもらっているお店に、久しぶりに訪れた。
金曜日の朝、会社へサービス出勤する前のこと。
お店はかつて、髪を切る人を指名できたけど、いまは出来ない。
たまたま、いつも指名してた人に当たった。

気の多いボクのことだから、きっとその人にまた恋でもしていたんだと思っていた。
ちょっとカッコよかったり、ちょっとキレイめだったりするとすぐに好きになっちゃう悪い癖。

その人の何が好きかといえば、目。
仕事をしているときの、真剣な目。

もともととてもきれいな人なのだけど、髪を切っているときの目はものすごく真剣で、一途で、美しい。
けして妥協を許さない、それでいて鋭すぎない、優しくて穏やかで、でも、研ぎ澄まされた、目。
やっとわかった。たぶんきっとそうだ。これは恋じゃない。憧れだ。
仕事をする姿が美しい人への、憧れだ。

自分が美しいとうぬぼれたことはない。
でも、まじめさではうぬぼれたことはある。
そして、そのまじめさに自分で傷ついたこともある。

仕事をまじめにやりすぎて、かえって人に迷惑をかけたことが何度もある。
適当に仕事をやることを覚えて、ものすごくいやだったこともある。

それを超越していると言ったら否定されるだろうけど、そう思わせてくれる人。
きっと、その人にあこがれていたから、ボクはずっとあの人に髪を切って欲しかったんだ。

こんどまた髪を切ってもらえたなら、今度は伝えよう。
「あなたの仕事をしている姿が好きだから、じっと見つめていてもいいですか」って。

伊達ちん大活躍

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080504-00000941-san-spo

物静かなドイツ人ドライバーに、時ならぬ注目が集まった。ミハエル・クルム。いうまでもなく、妻でテニス選手のクルム伊達公子が、現役復帰初戦で活躍したからだ。

・ 【フォト特集】この日のレースクイーン写真を一挙公開

 4日には報道陣の要請を受けて、日産のパドックで特別に会見の場が設けられた。それも決勝前と決勝後の2度。日ごろレースの取材に顔を出すことなどまずない週刊誌の記者が急遽来るなどの異例さは、一種の“クルム伊達フィーバー”だ。

 開幕2連勝と圧倒的な強さを見せた日産GT−Rには今回、競り合いを演出するための規定で厳しいハンディが課せられ、各車は予選、決勝とも軒並み下位に沈んだ。

 さらにクルムは決勝序盤、他車に接触したことでピットレーン通過のペナルティーを受け、交代した相棒の柳田は黄旗中の追い越しでピットストップのペナルティー。それでも10番手でチェッカーを受け、「何とかポイントを1点取れた」と思った矢先、終盤の接触で他車をコース外に追い出したとの判定で決勝結果に35秒加算された。3度目のペナルティーで12位に落ち、「クリーンなファイトをしていたのに…。ペナルティー(になったの)は理解できない」と落胆する。

 しかし、妻の活躍の話になると表情が変わった。「(シングルスの逆転負けは)最後は疲れたんでしょう、奥さんも人間だから(笑)。でも、決勝に出ただけですばらしい結果。それどころかダブルスは優勝なんだから。ご苦労様って言いたい」と喜んだ。

 昨年、自身が国内最高峰のフォーミュラ・ニッポンに復帰。ハードなトレーニングをしている姿に妻が影響されたようだという。

 「ボクが走りに行くと、必ずついてきた。体を動かしたくてしようがなかったみたい」

 そんな妻は、シュテフィ・グラフさんらとプレーした3月のエキシビション大会への出場が決まってからは、毎朝6時に起きてトレーニングに励んでいたという。「もう1回、チャレンジしたいという気持ちが強いようだったので、『じゃあやってみれば』と勧めた」。登録名“クルム伊達公子”誕生のいきさつを打ち明ける。

 「12年も離れていたのにカムバックするのは大きなチャレンジ。すごい勇気」と妻をたたえる。「メンタルの強さは見ていて勉強になるし、尊敬している。自分も自分のスポーツで同じようにできないとって思う」

 妻はこの後も試合が続く。「次の福岡には行こうかと思っている。そうじゃないと2週間、会えなくなるしね」

 今後も妻の快進撃が続くなら、WTAツアーへの復帰も現実味を帯びる。「まず全日本選手権(11月)へ向けてやって、その後は調子を見ながら考えることになると思う。彼女がツアーに行きたいなら、ボクは100パーセント応援する」とクルム。ツアーに参戦すれば離ればなれの日々が続くことになるが、「大丈夫、ボクがついて行くから」と、のろけてみせた。(只木信昭)

ええダンナさんもろたねぇ。
あたまナデナデしたくなるようなかわいいダンナさんだ。
お互いに求め合って、必要としあって生きてる感じが伝わってくるいい記事だと思います。

フリーチベットとチャイナフリー

freeという単語が「自由」という文字通り意味だけではなく、場合によっては「〜を除外」という意味で使われることを電車の中の英会話教室のCMで知った。

CMの中では「バリヤフリー」や「スモークフリー(禁煙)」などが例に挙がっていたが、私がそれを知ったときにまず思い出したのがタイトルの二つの単語だった。

チャイナフリーフリーチベットはまず難しいだろうが、せめてチャイナフリーではなくてもフリーチベットでなくても、血が流れないチベットであってほしいと思う。

キャベツでピエンローを作ってみた

ピェンロー(白菜鍋)レシピ
白菜もそろそろ季節が終わりなので、ピエンローの季節も終わり。

白菜とキャベツはよく似てるからキャベツでもピエンローは作れるんじゃないかと思い、作ってみた。

材料(2人前ぐらい)
キャベツ 半玉
ベーコン 100g
鶏肉 100g
干ししいたけ 1個
ブイヨン 1個
春雨

一味唐辛子
オリーブオイル たっぷり

1.干ししいたけをもどした水に切ったキャベツと干ししいたけとブイヨンをほおりこみ、弱火でぐつぐつと10分ほど煮る。

2.ベーコン、鶏肉を投入。これまた10分ほど待つ。

3.春雨投入。オリーブオイルを@マーク上にトロトロと注ぐ。さらに10分ほど待つ

4.うつわにとり、塩と一味唐辛子を適度にかけてハフハフしながら食べる

簡単に代替できました。
キャベツのほうがちょっと味が濃くなるかな。
春先はキャベツが美味しいので、花冷えの日などにいかがでしょうか。

北京五輪ボイコット

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080318-00000988-san-spo
1980年モスクワオリンピック - Wikipedia

北京オリンピックについて日本人選手がどのような思いを感じているかはわからないが、モスクワ五輪は多くの代表選手がそのボイコットを「悲劇」と感じ、東西冷戦の深刻さを内外に知らしめる点で非常に象徴的な出来事であった。

当時のボイコットは国家主導で、今回のボイコットは選手主導であるところが異なるのかもしれないが、しかし、結局オリンピックが世界大会ではなくなることは悲劇でしかないことはモスクワ五輪、そしてロサンゼルス五輪で世界の誰もが経験したことではなかったのだろうか。

オリンピックに政治を持ち込むべきではないと痛感した人たちが今、各スポーツの理事などに就任しているはずなので、経過を見届けたいと思う。

選手たちに同じ思いをさせてしまうのか。
それとも、自ら身を挺して選手の思いを守るのか。
偉い人はふんぞり返っていすに座っているだけではないことを、示して欲しいと思う。

誰が秋葉原を瀕死に追い込んだか

“趣都秋葉原”終了の予兆としての破廉恥パフォーマンス - シロクマの屑籠
秋葉原秋葉原たるもともとの理由は、ほかでは手に入らない部品や製品が、安く購入できるということだった。

たぶん、そんなつもりはないのだろうけど、なぜか「趣都」として秋葉原を祭り上げてきた人たちは、彼ら自身も町を変化させてきたいわば侵略者であるにもかかわらず、秋葉原に対する思い入れは人一倍で、エゴも強い。


町は君たちのものではなかった。


ただそれだけのことに気づくのに、どれだけ大騒ぎしているのかと思う。
どうにも、不良たちが「ここはオレの縄張り」と主張しているのと同じレベルに感じてしまうのだ。

全国民が一日1000カロリーで暮らすことは不可能だ

結論やらなにやらすべて間違っているが・・・・・・
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080309-00000915-san-soci

まず、本当に食料自給率を体感したいならごまかさず一日1000カロリーとすべきである。
カロリーの上げ底をしているために「もうちょっとがんばったらとりあえず贅沢は言えないけど生きてはいける」レベルの食事になってしまうのだ。

1000カロリーなら間違いなく食べた人はみんな絶望する。1食あたり333カロリー。おにぎりなら一個半か。
そんな食事を食べされられたら、食料自給率を上げようと考える人は多数派にはならなくなる。
日本の食糧事情の現実を感じ、中国の毒ギョーザ問題に対するスタンスも大きく変わってくるだろう。

しかし、「もうちょっとがんばったらとりあえずなんとかなる」水準の食事を提供すれば、「食料自給率」については考える契機にはなっても「食料自給率を下げよう」とは夢にも思わないはずだ。

食料自給率100%なんてのは現代日本にとっては幻想でしかない。
そうならないために貿易は最重要事項で、常に輸入国と良好な関係を保ち、シーレーンの安全保障に敏感でなければならない。
そして、どこか一国と関係が悪化しただけでエライことになってしまわないよう、多方面外交を常に心がけるべきなのだ。

でっちあげのデータを元に世論を誘導することはゆるされない。
それは、もう60年以上たつ前の敗戦で日本が得た教訓のひとつなのだから。